犬と暮らせば
以前に動物園でオオカミを見た。私には大きな「犬」に見えた。
『犬 その進化 行動 人との関係』(ジェームス・サーペル編)によると、まだ議論の余地はあるようだが、どうやら犬の祖先はオオカミらしい。
ミトコンドリアDNAを調べたデータからは、オオカミは犬種の1つに入るとも言えるようだ。
野生の肉食獣だったオオカミは、人間社会の一員として、外貌や行動の多様な変化を遂げて「犬」になった。
1万年前のイスラエルの遺跡から、老人が仔犬の胸に手を置いた墓も発掘されている。
この老人は仔犬と同じ墓に入りたいと願うほどに深い愛情を感じていたのだろう。
犬への愛情は、然るべき愛情であれば、人の健康や心理的、社会的に良い効果が報告されている。
安らぎを得て癒される、生命を尊重していたわる気持ちが育つ、規律正しい生活になる、運動不足の解消、人との交流が深まる、等々。
だが残念な事に、最近ではむしろ眉をひそめたくなる様な愛情も見聞きする。
犬に依存的で、心理的な距離が近過ぎ、犬との同一化(犬の擬人化)が強くなっている愛情である。
犬へのしつけも甘く、不適切な給餌をしがちであり、他者から否定的な反応を招きやすい。
結果的に犬は病気になりやすく、またご近所に迷惑をかけたり、ご家族と犬が幸せになっていない事もある。
犬と暮らせば、人間は犬から多くの恩恵を得ることが出来る。
しかし人間は犬に何を与えているだろうか。犬は人間ではなく、「犬」である。
せめて犬の良き理解者となり、「犬」として尊重したいものである。
猫の来院ストレスを軽減するために
先月から猫専用の待合室を準備した。
知らない場所で聞いた事の無い音や、嗅いだことの無い臭い等で、ご家族が一緒にいてもパニックになることがある。
動物病院に来る猫のためにできることは、以下の通り。
犬の飼主様には待合室が狭くなりご迷惑をおかけしますが、何卒ご了承下さい。 |
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臨床獣医師の心の荷物
病気の動物を診察すると、軽重の差はあれどその病気が治るまでは心の荷物になる。
毎日嘔吐している猫、発作をおこした犬、お腹の中に癌が見つかり手術をする犬。
それぞれの動物にはご家族(飼い主)がいる。間近に居なくとも、折に触れて思い出す。
ご家族や動物に共感しやすい獣医師ならば、荷物が増えてくると重くて歩けなくなるかも知れない。
荷物を下ろす、または軽くするために私が思う事は、先ず勉強し続ける事だ。
正しく診断し正しく治療すれば、多くの荷物は直ぐに下ろせる。
日進月歩の獣医学では、常に新しい知識が要求される。プロとしての覚悟が求められる。
次に、個人の知識や技術に限界があることを理解する事である。
自分が出来ないことをするべきではない。専門医と連携し状況に応じては紹介した方が良い。
そして最後に、戦う根性と正しい経験が必要だ。これはどんな仕事でも同じだろう。
戦う根性がなければ長くは続かない。正しい経験を積めば大きな自信になる。
余談だが、頭の悪い政治家が臨床獣医師に対して理解のない発言をした。
「獣医学部の質が落ちている」と。私の身近にも日々努力されている先生方がたくさん居られる。
当事者を蚊帳の外に置いて、根拠の無い不用意な発言で獣医師の信用を貶めるとは。
日々現場で戦う獣医師の、余計な心の荷物を増やさないで欲しい。
簡単ではない荷物を軽くする努力を偉そうに並べてみたが、今でも私は迷いながら戦っている。
きっとずっと荷物を積んだり下ろしたりしながら、隠居するまでは歩き続けるのだろう。
心の荷物を下ろすときに「有難う」と言って貰えることがある。それは歩く力になる。
診察室の椅子
衛生的で機能的、そして少しだけおしゃれ。そういう病院でありたいと思っている。 そういう職場の方が、私はモチベーションが上がり、良い仕事ができる(気がする)。
診察室の椅子が劣化していたので、新しく買い換えた。 病院カラーを選べたので、イームズチェアを採用した。 待合室のイスと統一され、座り心地も良く満足している。
このおしゃれな椅子を眺めていると、開発者であるイームズさんに感謝の念が湧いてくる。
今まで頑張ってくれた椅子は名残惜しく自宅へ。 諸行無常なり。
飼い主様にも座り心地の良さを感じて頂ければ幸いである。 キャリーバッグを乗せるには不安定で、落下の可能性があるので気をつけて頂きたい。 |
出せ〜
ケージから出せー、ニャー! 遊べー、ニャー! ご飯よこせー、ニャー!
ニャー!!
ごめん、今忙しいから、、、。
アナタ達ちょっと声大きいですよ。 、、、睨まないで下さい。
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傾向と偏見の間に
「男性医師より女性医師の方が腕がいい」ことを示唆する論文が米医師会雑誌に載り、話題になっている。
男性と女性は身体のつくりも脳(考え方)も違う。これは科学的にも証明される「傾向」である。
性別の違いから仕事の能力を比較したとしても、根拠のある論文を「偏見」とは言えない。
「傾向」を知ることは学問や仕事において重要である。
例えば接客業ではお客様をタイピングする事でスムーズなコミュニケーションを図っている。
60歳以上で定年退職後のご夫婦にはゆっくりと話をして質の高いものをご提案する、30〜40歳の子供のいるご家庭は忙しいので話は短くリーズナブルなものを、等々。
時間的余裕や経済力を、年齢や家族構成から「傾向」としてタイピングしているのである。
しかし一歩間違えれば、「傾向」はレッテルを貼っただけの決めつけや「偏見」になり得る。
お客様を性別や年齢、職種、服装などの外見からレッテルを貼れば、必ず不快感を与える「偏見」になり得るのだ。
動物病院の仕事も接客業である。(医療を提供しているので譲れない部分も多々あるのが難しいところだが、これはまた別の話。)
お客様(動物のご家族)の立場になったつもりで色々とご提案したはずが、不快感を与えてしまう可能性もある。個人の価値観や経験などによって感じ方が変わるその間に、明確な線を引いて分けることは難しい。
「傾向」と「偏見」の間をさまよう獣医師として、非礼があればこの場をかりて謝罪したい。
君の名は。
「前前前世から僕は君を探しはじめた」訳ではないが、故あって仲間が増えた。
スライムを仲間にするとスラリンなので、 このベルツノガエルをベルリンと呼ぶことにした。
大きな口でよく食べるので、ちまたではパックマンとも呼ばれている。
スタッフも好きなように呼んでいる。 ベル吉(ひろしのシャツに張り付いたど根性ガエルから?)、 ひむこ(お笑い芸人のキャラクター?)、等々。
15年くらい前に地元中学校で教育実習をさせて頂いた。 理科の授業で、テーマはカエルの観察。 君の名は未定だが、今は獣医師として君を観察し、また共に生きてみようと思う。
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重たい『を』
先日、衝撃の事実を知った。個人的には今年度最大の衝撃だった。
2008年の北京五輪100m、ウサイン・ボルトの走りと同じくらいの衝撃だった。
子供の宿題について話している時に家内が、「そこは重たい『を』でしょ。」と言った。
私は意味が分からず「重たい『を』って何?」と聞くと、
「普通の『お』と、重たい『を』だよ。」と家内は、そんな事も知らないの、という顔で言った。
「いやいやいやいやそれは無い、聞いた事ない、初めて聞いた。」
「じゃあ『お』と『を』を何て言葉で説明するの?」
「そりゃあ、あいうえおの『お』と、わをんの『を』だろう。」
「ふーん、それも言うわねぇ」
不安になる私。(心の声:38年生きてきて、『を』が重たいとは知らなかったぞ、有名な話なのか?)
結局、調べてみると方言みたいなもので、羽生出身者は重たい『を』を知っていた。
むしろ学校の先生が子供に「『を』は重たい『を』です。」と教えていた・・・。
名作『砂の器』の様に、方言や言葉の違いから推理小説1本書いてしまうくらいの能力があればと思うのだが、この衝撃を伝える文才すら無い(ボルトの走りに例えるしか無い)私には、今はこれが精一杯。
ちゃめの小さな誕生会
7月が誕生月のちゃめを祝おうと、スタッフのNが犬用ケーキを用意してくれた。
診察が終わった夜に、スタッフでハッピバースデーを歌いながら小さな誕生会をした。
ハッピバースデー、ちゃーめー♪
上の写真の通りに、ケーキを噛まずに丸呑みしたちゃめを見てスタッフは大笑い。
ちゃめの表情もキラキラしていた。
おめでとう、ちゃめ。